2011年07月07日(木)
[ 外国為替 ]
あくまでヒトへのスポットである
昨日は「ディーラー烈士伝」の取材を都内で。毎月一人づつ現在25回まで続いている、つまり既に2年以上この企画は続いている訳だが、第1世代からスタートし、第2世代を経て、現在は第3世代の面々が登場し始めている状況。具体的に明確な区切りがあるわけではないが、第1世代は1970年代前半のニクソンショックから1985年のプラザ合意辺りまでの為替創世記をメインに活躍された方々、次いでプラザ少し前から最近までの円最高値であった1995年辺りをメインに活躍された方、そして1990年前半からのポンド危機、アジア通貨危機などを経て2000年代にかけてメインに活躍された方々、といった感じで私自身もアバウトに捉えている感じである。
この烈士伝の企画自体、それぞれの世代において環境や技術革新などで大きな変化があるためテクニカルで同一に並べられるわけはないため、そういうテクニック的な事はさておき、あくまで「ヒト」にスポットをあて、それぞれがどう相場と対峙してきたかという所を、その人のパーソナリティや人間形成を交えながら掘り下げていければ、というのがもともとの趣旨で、まあある意味自分達の好きなことを好きな形で続けてきたら結果的によい形で繋がって来たというのが正直なところ。
しかし話は変わるが「儲かる〜」とか、陳腐なワードに成り下がった「カリスマ〜」とかホントに溢れすぎなんだが、使っている方も使われている方も企画している側も“寒い”と感じないのだろうか?
本日もとある打ち合わせで、そういう“表(表面)”と“裏(実体)”の話をしていた所。事実は事実として。
Factual?
Posted by cowboy at 21時13分