あれから14年
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多くの人が犠牲となり、今なお避難生活を送っている人が約2万8千人もいる東日本大震災の発生から今日で14年を迎える。各地では恒例の追悼行事が行われ、大きな被害を受けた宮城県三陸町の旧防災庁舎などTV等でよく目にするが、この高さ12メートルの建物も15~20メートルの津波が襲い災害対応にあたっていた職員も犠牲になった。かつて銀座にソニービルがあった頃、その壁面に津波の高さが掲げてあったのを思い出すが本当に想像を絶する。
その宮城と共に特に大きな被害を受けたのは岩手だが、ここでは周知のように直近で平成以降最悪といわれる大規模な山林火災が発生、発生から12日後に漸く鎮圧となったものの建物被害は210棟に及びうち171棟が全壊と被害が深刻だ。こうした二重被災といえば能登地方も大地震に豪雨と1年で2度も大災害に遭ったわけだが、こうした光景を何度も目の当たりにし自然災害に太刀打ちできない無常を感じるものだ。
一方で復興関係の方はインフラ・住まい関係の復興進捗率は極めて高いが、懸念されるのは福島原発事故の除染関連か。汚染土のうち低放射性のモノは全国の公共工事等で再生利用される方針だが、東京や埼玉の実証事業計画は地元の反対で頓挫している。また廃炉に向けた最難関とされる燃料デブリに関しては昨年取り出しに成功したもののその量は0.7グラム。国と東電は2051年までの廃炉完了を目指すというが、1~3号機には全体で880トンの燃料デブリがあると推計される。今後も時が刻まれてゆくなかで国や自治体の本気度が試される。