功罪
さて週末に飛び込んできた話題で目立っていたのは、やはり尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で海上保安庁が衝突時に撮影したとみられるビデオが「YouTube」に投稿されているのが発覚した件か。
しかしこうした流出モノといえば、ここ最近では警視庁公安部の内部資料とされる文書がネットへ大量に流出する一件もあり、先に衆参予算委員会のメンバーでこの衝突ビデオの視聴が行われた際には入室時に携帯電話まで没収されたそうだが、これを嘲笑うかのような直後の流出とはなんともお粗末な感は否めない。
事の是非はともかく、半ば圧力に屈し超法規的に犯罪容疑者を釈放してしまった上に、流出したらしたでこんどは闇に葬られるところであったモノを世に解き放った者へは複数の罪で捜査へ乗り出しているというが、世論もあり何とも扱い辛いケースだけに脆弱な政権へまたも試練である。
それはともかく、今でこそ何の疑いもなくごく普通にネット生活が浸透しているが、「YouTube」なんぞ無かった時代を思い返してみると改めて劇的な構造変化だなと。それは一部新聞などに見られたように今までは情報を制御出来る向きが居て、一般はある意味それを読み解く力のある向きとそうでない弱者が存在したが、こうした物の登場でそうした関係が殆ど対等になった事か。時代の功罪論はさておき今またメディアのあり方も問われてこようか。