連続破綻から20年
さて、今週で関係者に多大な衝撃を与えたあの山一証券破綻からはや20年が経過する。思い起こせばちょうど20年前の11月という月は四大大手の一角であったこの山一が破綻劇のトリを務めた格好になったが、その前に連続破綻の口火を切ったのが月初の三洋証券、そして中旬の北海道拓殖銀行があった。
この三洋証券といえばバブル期を象徴するかのような東証をも上回る世界最大とも言われたトレーディングルームが鮮明に思い浮かぶが、拓銀にしても一時は一蓮托生だった数万円の値が付いたカブトデコム株が紙屑になりウィンザーホテル洞爺の写真を見る度にこれらの事件が思い出される。
そして山一。日経・私の履歴書で元野村證券副社長が書き綴っていた通り今では金商法で真っ黒な「ニギリ」が横行、その派生で公然と「飛ばし」も横行し山一破綻のトリガーとなったのだがあれから20年、日経平均も25年ぶり高値水準まで回復した今こうして改めてひと昔を回顧する機会が多い。
当時はそもそも株式が持ち合いで成り立っていたのでわざわざ浮動玉相手にIRなどマトモに考える向きも少なく、投資尺度にしてもフューチャーバリューやQレシオなど異常株価を擁護する為?の指標が次々と現れた狂乱時代であったものだが、そう想い返すと現在進みつつあるガバナンス改革もこの山一破綻を教訓としている部分も少なくないか。